映画「関心領域」を鑑賞してきました
- Fuming _
- 2024年8月16日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年8月17日
夏休み中の先日、映画「関心領域」を観てきました。前評判を一切リサーチせずに先入観無しの鑑賞です。※ネタバレありです。
塀一枚隔てた向こうにはあの恐ろしいアウシュビッツ収容所。しかし塀の手前の景色はまるで別世界。言ってみれば、こちらの世界とあちらの世界。こちらの世界は絵に描いたような手の行き届いた広い庭と邸宅。そこで贅沢に暮らす一家。しかしあちらの世界はご存知、恐ろしい収容所。人は無関心でいれば暮らせるものなのでしょうか。そうしたサイコパスな環境を知らずに訪れた親戚も、深夜鳴り響く収容所からの恐ろしい騒音を目の当たりにして逃げ出しました。
よく小さな子どもが遊びに集中していると、話しかけても聞こえません。息子もそうでした。人間は何かに夢中になることで雑音や雑念を弾き飛ばす力を持っています。
それにしても収容所に隣接する環境とは…
頻発する銃声、罵声、焼却の黒煙など、普通では気にならないはずはないレベルですが。
つまり、この邸宅の奥様は、ずっと夢だった広い庭付き邸宅の贅沢な暮らしが何よりも大好きで、そのことに非常に執着していたのです。それ故に、収容所に隣接している環境や、夫のオイタ、子ども達への環境害悪のことなど気にする気配すらありません。というか、手に入れた夢だけを手放したくないがために見ないようにしていた傾向すら伺えます。
一方、収容所所長だった夫の方も、自身が出世することに夢中で、自身が立案した殺戮プランの猟奇さも認識できぬまま、栄転が決まったため妻に一家の転居話をするも、その邸宅を離れたがらない妻からは別居を言い渡され、一家をその邸宅に残し、住まいを離れることになります。しかし恐ろしい場所に一家を残すことに咎めはありません。
私は人と少し違った着眼点で観たかもしれません。と言うのも、人間が何かに夢中になったり執着するときには必ずと言っていい程、向き合わなければならない問題を抱えていることが多いのです。男性が仕事にのめりこむのもその典型例。また、新興宗教との出会いもよくあるパターンです。自身に内在する問題を自覚している人もいれば、深層心理では気づいていても、無意識でそうなる場合もあります。
ところが問題を解決した時、或いは解決に近づくころ、夢中だったものを冷静に見つめることができるようになるのです。まるで恋からさめたように。
映画は、観た者それぞれに様々な感想を持たせますね。
気学と出会った頃、今思うと私も問題を抱えていました。怖いくらいに夢中になって勉強し、そして人々に拡めたい気持ちでいっぱいになりましたが今は違います。冷静に学問と向き合う視点が出てきたように思えるのです。
問題は、去ったようです。


